映画実写版アラジンを観て気づいた本当の自由と幸せ〜ジーニーとジャファーの違いより〜

こんにちは成島です

先日映画の実写版アラジンを観てきましたアラジンといえばテーマ曲『A Whole New World』が有名ですがその楽曲の美しさを存分に活かしたミュージカル要素を含むダイナミックな実写作品に仕上がっていました

ですが、私はこの映画を「自由」という切り口から考えてみたいと思って今日のブログ記事を書きます。

一言でいえば、「自由」について大きな気付きを与えてくれる名作だったと思います。

アラジンのストーリー自体は有名ですし、今更ネタバレも何もないと思うので、どんどん具体的に書いていきますね。

ジャファーは権力に囚われた起業家の象徴

邪悪な国務大臣のジャファーというキャラクターがいます。彼はナンバー2の立場から国王のイスを狙っており、次々と悪事を画策して魔法のランプを手に入れることを狙っています。

遂に魔法のランプを手に入れたジャファーは、その力を使って王になってしまいます。

当初、彼にも何か志があって政治家を目指したのかもしれませんが、魔法のランプを追い求め、それを使うジャファーは権力の魔力に心を奪われ、目が曇っているようです。

魔法のランプを手に入れてどんどん権力が肥大化していきましたが、最後には自らが魔神になってしまい、ランプに閉じ込められてしまいます。その姿を見て、私はこう思いました。

まるで、権力に取り憑かれた起業家が、必要以上に組織を大きくし、つまり肥大化させていく姿のようだと。

最初は、自由を手に入れたくて起業したはずなのに、いつしか起業や幸せよりも権力や名声を求めて、組織をどんどん大きくしていってしまった。その結果、どんどん身動きが取りづらくなり、不自由になってしまった……

この象徴が、ジャファーというキャラクターだと感じたのです。

ジーニーは自由の象徴

一方で、物語の主人公であるアラジン。魔法のランプでは3つまで願いを叶えることができるのですが、その3つ目の願いを使って、魔神であるジーニーを自由にしました。
(魔神は宇宙一のパワーを持っていますが、主が魔神の自由を願わないと、自分ではランプの呪縛から自由になれないのです)

魔神ジーニーは自由になった結果、魔神としてのパワーを失い、人間になります。

ですが、ジーニーは本当に愛する人と一緒に自由気ままに世界中を旅するというライフスタイルを手に入れることができたのです。

ジャファーが不幸な起業家の象徴だとしたら、ジーニーは自由の象徴だと感じました。

自由になる前のランプに縛られたジーニーは、不自由なエリートサラリーマンの象徴。

そんなエリートサラリーマンの「本当の願い」は、パワーを失ってもいいから、「自由を手に入れ、愛する人と幸せになること」なのです。

最後の願いとして、「本当の願い」を“言葉”にした結果、それは叶います。

そして、自由になった後の人間になったジーニーは、脱サラして自由になった幸せな一人起業家の象徴です。

あなたは本当はどの立場を手に入れたいの?

さて、ここまでアラジンのキャラクターであるジャファーとジーニーを比較しながら、

●自由
●権力
●幸せ

などについて考えてきました。

今、あなたは誰の立場でどのキャラクターに共感しますでしょうか?

そして、あなたの本当の願いは、どのキャラクターの立場になって何を手に入れることでしょうか?

ゆっくりと時間を取り、この名作を見ながら、あなたにとって人生で本当に手に入れたいものについて考えてみてもらいたいです。

P.S.

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